2012年08月18日

街角にて

リトアニアの首都、ビリニュスを歩いていた時のこと。

隣の車からクラクションがしたので、なんだろうと思って振り向いてみると、若い白人の男が中指を立てて汚い言葉を叫んできた。
目線の先には自分しかいない。敵意のある目だった。
彼らは何かをわめいて、そのままどこかへ行った。

ガイドブックを見ると外国人排斥の犯罪が近年あったそうで、そうした思想の影響かもしれない。
彼らの行為が旅行者のこの国の評判を落とすとなると残念だ。

今回は何もなかったが、旅先で歓迎されなかったのは何も初めてではない。
同じような経験をしたことのある人もいるだろう。
旅先で会った人とはいろいろな話をするが、今回会った人の中には
ヨルダンで知り合った韓国人団体客が自爆テロに巻き込まれたと語る人も居た。

世界にはこうした理不尽な敵意を向ける人がいる。
日本にだってやってる人はいるかもしれない。

ただ、なぜその体験をするか、一つは自分が彼らにとって異質だからだ。

自分が異質である、と実感するのは、旅をしないとできないかもしれない。
経験しないのが一番かもしれないが、きれいごとではない体験は、世界の現実を思い知らせる。
自分を見る目を開く。

そうしたことに気づくのも、また旅の持つ力なのかもしれない。


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2012年08月15日

自想するE

前回からの続き。

実は「いい子」でいることがいつの間にか「観察する自分」に置き換わった理由ははっきりしない。
そうなったのは高校時代、いわゆる思春期で自己の客観視をするようになる時期と一致している。
抑圧が思春期に変化したと言えるかもしれない。

そしてもう一つ変化したのが、「強烈な自己主張」。

反抗期は誰にでも来ると思うが、自分の場合は暴力的な衝動ではなく
理不尽に対して敏感に反応するようになった。

中学くらいから、理不尽と感じるものには強烈に抵抗した。

その矛先が向いたのはまず父親で、自分が読んだ新聞をたためだの、
俺がテレビ見るからチャンネル変えろだの、そのような要求に猛反発した。
このとき以来父親とは口もきいてないし、15年以上会ってないので生死もわからない。

次が高校。カバンは指定だの、やってすぐ元に戻る頭髪検査など
理不尽な校則のオンパレード。
教師は何故それが必要か説明しようともしない(分かってないように見えた)。
生徒はもはや諦めて思考停止、管理されていたし鬱憤が別のところにでてきていた。

そんな高校が大嫌いだった。
時には教師に反抗的な口を聞くこともあったが、
そのたびに理屈で説得させられない教師を心底見下した。

ひたすら大学に行きたい思いで、高校生活を黒く塗り込めた。

それだけでなく、私生活でも自分が理不尽を受け入れることはできなかった。
我慢できず反発が生まれた。

・・・と、ここまで書いて思ったが、「抑圧」された感情が、
理不尽に対する強烈な自己主張・反発とつながるかは、もう少し考えたほうがいいかもしれない。

一般的な反抗期とも言えると思うし、まだ知らない別の要因が隠れているかもしれない。

(続く)
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2012年08月14日

自想するD

終着点も考えずに進むこのエントリも5回目。

前回は抑圧について、自分の感情を素直に表に出すことができないと書いた。

※このブログも思ったこと全てをそのままの表現では書いてない。
 自分にも当然、2ちゃんやその他で交わされてるような感情はあるが、
 それをすることによる結果と労力を知っているので出さないだけ。

 これも一種の抑圧であるが、これは現代人にある程度共通してると思うので
 自分特有の傾向とはみなさず、抑圧というより抑制と考えている。

では抑圧は、どのような状態となって現れてくるのか。
自分の場合は、2つあると考えている。

1つは「無感動」、もう1つは「強烈な自己主張」である。

「無感動」というのは、心動かされたり奪われたりすることがなくなったということ。
具体的に言うと、涙を流さなくなった。

最後に流した涙がいつか、思い出せない。

物語や映画、あるいは旅行などの体験で圧倒されたり、
言葉が出ないほどすごく見入って鮮烈な記憶に残ることはある。

それを感動というなら、確かに感動している。

しかし涙を流さない。
だから自分で、本気で感動した、夢中になったと言えないのだ。

どこかで自分を観察するもうひとりの自分がいて、
行動の一挙一投足を見ている感じ。
この観察者は冷静な評価者。
この目線が自分を冷静でいさせてくれると同時に、没入を許さない。

人生のプレーヤーとしてなりきれない自分がいる。

こうした自己像は前に宇多田ヒカルも対談で語っていたのを見たことがある。
これを読んで「他にもそう思う人がいるんだ」と思った。

もっと素直に、全力で飛び込んでいいじゃないか。
本気になった結果、泣いたっていいじゃないか。

そう思うときもある。
が、まだ実践できていない。

この客観的な自己に、本来生む(生んで欲しい)感情が抑制されている。
それは結局、「自分は人生をプレーヤーとして楽しめていないのか」という問いにもつながってくる。

長くなったので2はまた明日。

(続き)
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自想するC

このエントリもはや4回目。徐々に考えも整理されてきた。

前回までは「喪失感」について書いてきた。
今回からはもう一つのキーワードをもとに考えようと思う。

もう一つの鍵、それは「抑圧」
心理学でもよく使われる言葉だが、自分の場合は簡単に言ってしまうと

思ったことをそのまま口に出せない、
あるいは「いい子」フィルターを通じてしか出てこない

ということだと考えてる。

「喪失感」の件でも触れたが、物心ついたときから、自分は「いい子」でいようとした。

母親をはじめとした身近な人の承認が欲しかったからだ。

幼稚園の頃は、制作物をできてないのに真っ先に「できた!」と言い、
先生に認められたがる行動をとるほどだったらしい(詳しく覚えてないが)。

小学校に上がったばかりの頃は、学校でほめられたり良かったことなどを
すぐさま母親に話したがっていた。

そういう承認が欲しかった。

悪態をつく、問題行動を起こすといったことは、承認とは逆の懲罰が待っていることも知っていた。
そうした行動が注目を集める手段であることは分かっていたが、
自分の場合、単に懲罰が怖かったのと、自分を見て欲しい、すごいと言って欲しいという欲求のほうが強かったのでこの行動には至らなかった。

むしろ、ほめてくれなくなる、認めてくれなくなるものとして
「こういうことはいけないんだ」、と絶対に手を出そうとしなかった。

これが、自らを抑圧する動機にもなっている。

こうして抑圧している、というのが実感できる例もある。

今でも鮮明に覚えているが、小学校高学年の時、家に帰って担任のことを

「あのハゲオヤジめ!」

とつぶやいたとき、ものすごい罪悪感に襲われた時がある。

これには伏線がある。

あの日、学校では卒業文集を作ることになっていた。
しかし、自分は卒業文集の原稿用紙を家に忘れてしまった。
担任にそのことを言うと、無言で担任は自分を蹴っ飛ばした。
結局その時間、自分は何もできなかった。

こんな体験。

今から考えると体罰だけでなく、現場の問題解決を放棄した教師は職務怠慢なのだが、
忘れただけで蹴られるのはどうしても理不尽だった。

その理不尽さが、この台詞を言わしめた。

言ってから感じたのは、ハゲオヤジなんて汚い言葉だ、
そもそも先生にそんな事言っていいのか、
そんな言葉を使ってたら不良になってしまうのではないか・・・そんなことだ。

これが、後に「いい子」の抑圧に気づいた最初の体験だった。

(続く)
posted by しゅらいぜ at 00:40| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月12日

自想するB

ロングエッセイ第3弾。

前回までは、自己の喪失感が人間関係にまで影響し、
他人との距離感が分からなくなってしまったところまで書いた。

そのことを思ったきっかけは、仕事と趣味だ。
仕事で築く人間関係は、基本的には仕事という線でしか繋がっていないため
いくら良好な関係が築けたところでそれ以外の話にはなりにくい。
自分から踏み出さない限り。

趣味で繋がる人とも同じことが言える。
基本的に話が合うところだけで話していれば済むので
お互いを深く知るということは意図的にしないとできない。
そうした会話を敬遠する人も見てきた。

そうした付き合いをしてきた結果、人を深く知ろうとする、
より親密な関係になるための術を知らない人間に育った。

当り障りのない社交性なんて欲しくない。
この年にになってまともな付き合いも知らないのがコンプレックスだ。
もっと知りたい相手と距離を縮めていけるようになりたい。

今までそれができなかったのは、なにより相手から嫌われることから逃れたため、一歩を踏み出す勇気が持てなくなってしまったからだ。

そこまでは自覚している。

では、これからどうすれば変えられるのか。
実行に移すことが目下の課題と言える。

(続く)
posted by しゅらいぜ at 22:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月11日

自想するA

前回記事の続き。

こういった自己洞察をするのは、過去や自己を否定するわけではなく
ただそうなっている、という観察を踏まえ、その上でどうするかを考えることが目的である。
暗い思いは一切ない。

前回は「喪失感」、つまり自分を持っていない状態のことを書いたが
これは人間関係を築くときにも大いに影響している。

主に高校時代くらいまでのことだ。

自分で自分を評価できないから他人の評価を求める。
自分を認めてないから他人を認めることがどういうことかわからない。

認められたいから、結局自分の話は自慢話となった。
この傾向は負けず嫌いが拍車をかけた。
できない相手を見下すから余計にたちが悪かった。

相手を認めることができないから、相手にも自分と同じことを求め、できなければ責めた。
ミスを赦すことができなかった。
約束の時間に遅れることなど、些細な事でも。
それくらいできるだろう、と自分のものさしでしか相手を見られなかった。

相手からすればこれほど嫌な人間もいないだろう。
少し距離が近づくと、相手から嫌われることが多かった。

だから他人とは距離を置くようになった。
結果、当り障りのない会話しかできなくなった。

(続く)
posted by しゅらいぜ at 23:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月10日

自想する@

バルト旅行からも無事帰国し、今回の旅や仕事のことで色々考えることがあったので書いてみる。考えたのは、自己の洞察。

自分を語るにはいくつかキーワードがある。

まず思いつくのが、「喪失感」。

児童学なんかを学んでいると、幼児期には親から無条件の承認が自己肯定感を育てるそうだ。
(いるだけでいいという存在の承認)

しかし、自らが育った家庭ではそれが感じられなかった。
両親の中も冷めていたし、成長するにつれ父親は憎い敵でしかなかった。
自分が嫌いと思うことはあっても、好きだと思うことはなかった。
今は嫌いではないが積極的に好きとも言えない。

日本人は一般的に自己肯定感が低いと言われるので、この事自体は珍しくないだろう。
特に団塊の世代は結婚に失敗した世代とも言われる。成田離婚なんて言葉も生まれた。

ともかく、自己肯定感が低かったので、自分で自分を評価することができず、
他者の承認を人以上に求める傾向があった。

学生時代は自分のやりたいことも分からなかった。
こうしたいという思いもなく、他人の喜びが自分の喜びみたいなところで、自分で自分のやったことを評価できなかった。
自分のことを語るのもすごく苦手だった。

社会人になってSEがあわないと思ったのと、コンサルという仕事を選んだのも、
全てはクライアントに認められる環境が欲しいと思ったから。

上司から評価の時「他人は他人、自分は自分だよ」という話をもらった後、ようやく気づいた。

自分は自己評価ができないんだ。
他人の評価でしか自己の存在を確認できなかったんだ、と。

これが自己を「喪失」している、と思った理由。
そしてその喪失感が、人間関係にも影響を及ぼしている。

(続く)
posted by しゅらいぜ at 23:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月09日

バルト旅行記Day7-2012・夏

この日はトゥラカイという、ビリニュス近郊を観光。バスの出発が11時だったので、それまで市街を散策。

昨日は行けなかった市場にも顔を出す。
リガほどではないが、朝から露天が賑わっている。
持ってきた下着が足りなかったのでここで買った。
7リタス(210円くらい)と安くはなかったが、おばあちゃんの笑顔がプライスレスだった。

トゥラカイ観光では、リガで会ったハイテクなインド人に遭遇。
なんたる偶然!

とにかくよく話す。今56歳で、アメリカに住んで32年。
職業は医者で、今まで66カ国に行ったらしい。
個人で開業しているので、2週間働いたら2週間休む、といったうらやましいことをしている。
稼ぎもいいのでナイトライフにも積極的なようだ。
好きなことしてるから人生楽しいと言っていた。

トゥラカイは14世紀に起源があるが、20世紀に修復されたのできれい。
建物の景観が素晴らしく、展示も英語の解説なので分かった。

中でいきなり日本語で話しかけてきた人がいたのだが、振り向くと白人。
なんでもオーストラリア出身だが、大阪に住んで21年、世界中を旅しているらしい。
今回も高そうな自転車でバルトを旅しているそうだ。
気のいい人だったので連絡先をもらう。大阪に行くとき声をかけよう。

ガイドの解説はマシンガンのようだが、ところどころ解説が興味深い。

リトアニアではバスケが盛んで、オリンピックでも盛り上がっているとか
家具を作る工場は多いが作ってもIKEAに卸すだけなのでリトアニア人は自国の家具がないとか、
(そのIKEAはなんとリトアニア国内にはない。市場が小さすぎるらしい)
首都ビリニュスは6割以上が緑に覆われている、など。

そのビリニュスはユーロ加盟以降、最大60万いた人口が現在53万まで減ってしまったらしい。
多くはよい賃金と待遇を求め、イギリスやノルウェーといった国々に移住してしまったそうだ。
確かに物価から観てこの国の賃金は平均月10万もいかないと思うので、そうした移住は違和感がない。
国境が低く文化が近いとこういうことが起こるんだなと興味深い話だった。

帰ってきてからKGB博物館へ。
第二次大戦以降、いかにこの国がソ連に苦しめられてきたかが分かる。

処刑室はえぐいことに処刑シーンを流しており、衝撃過ぎて目が逸らせない。
まさに鬼畜の所業だが、ここにいるKGBもまともな神経ではいられなかったのだろう。

KGBはなくなったが、アフガンやアフリカ、チェチェンといった紛争地帯では
これが今も行われているんだろう。人間の暗部を見つめる展示だった。

日本人は1945年に戦争が終わり、平和が来たと言うイメージが強いが
かれらはそうではなかった、ということがとても印象に残った。

夜は市庁舎広場でなにやらコンサートのようなものが行われるようだったので、
オーストラリア人と一緒に参加した。

蓋を開けてみるとコンサートではなく、(所々で歌手が出てきたが)
リトアニア初の金メダリストを迎えるイベントだった。

日本でも少しニュースになったらしい。
ルタ・メイルティテという若干15歳の競泳選手だ。


金メダリストを間近で見るのは人生初めてだ。しかも可愛い。
大統領や市長も来ていた。
市民の歓迎ムードと彼女の初々しい笑顔がとても微笑ましかった。

最後の夜にちょっとした彩りがあって満足した。
明日は日本だ。
posted by しゅらいぜ at 17:47| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月08日

バルト旅行記Day6−2012・夏

今日はビリニュス市内を観光。

が、いきなりの豪雨に阻まれる。
止む気配なし。道路の横に川ができている。
仕方ないので飛び込むが、結局午前中ずっと降り続けていたのだった。

昼はビリニュス大学のカフェテリアで・・・と思っていたが
どこを探しても見つからない。もしかしたら今やってないのかも。
仕方ないので近くにあったリトアニア料理店でツェペリナイを食す。
なかなか独特な食感である。

15時からはオーディオツアーに参加。
あまりガイドブック以上の情報はなかったが、聖ペテロ・パウロ教会にも寄ってくれた。

しかし土砂降りの中強行軍で20分ほど歩いていってしまったのだった。
ここは久々にすごいと思った教会。見るものを圧倒する。

彫刻の凝り具合が半端ねぇ。内装に30年かかったのも納得。

その後は駅まで歩いてカウナスまでの列車時刻を確認したが、
ホテルマン(プーチン似)と話したところ、近郊のトゥラカイという場所のほうが面白いらしい。
曰く、カウナスは都会だからあまり見るものがないと。

カウナスを考えていた理由は単に電車の旅がしたかったからだが、
おすすめということで、トゥラカイのツアーに変更することにした。

夕食はパンケーキの店でとることに。食い過ぎた&ビールが余計だった。
アメリカのパンケーキをリトアニア風にアレンジしているらしい。

そのあとで見つけたフローズンヨーグルトの店は安くておいしかった。
気軽に入れてこの値段はいい(日本円で200円くらいあればいっぱい食べられる)

これに出会えただけでもリトアニアに来た価値がある!
是非日本にも進出して欲しい。

明日もいい一日になりますように。
posted by しゅらいぜ at 04:23| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月07日

バルト旅行記Day5−2012・夏

今日は弾丸でリトアニアへ。道中では十字架の丘へ行く。

バスに乗ること2時間半。
国境を超えてもパスポートを見せず、あれな感じでリトアニアへ入る。

このバスは地球の歩き方に載ってなかったが、
9:30発の11:55分着で、一日で回るにはちょうどよかった。
ただ、座席が窮屈なのとミニバスなので揺れることを我慢すればおk.

まずはシャウレイという中継の街へ。埃が多く雑多な印象。
古くてドアが閉まらず、太っちょの運転手。
これこそソビエトじゃね?というバスに乗ること10分で降りる。
ちなみに片道2.7リタス(80円くらい)なのでかなり安い。

のどかな田園風景に沿って歩くこと20分、十字架の丘に到着。
最近になってインフォもできたようだ。

圧巻。

十字架の数は10万基以上あるという。
ポーランド、ポルトガル、オーストリア、韓国、日本、ブラジル・・・世界中から集まってくる。
これからも集まり続けるんだろう。
道端でおばさんがハープのような楽器を弾いていたのが雰囲気出していた。

再びシャウレイに戻り、バスに揺られること3時間半。
リトアニアの首都、ヴィリニュスへ到着。

ホテルへは徒歩でいける距離で雰囲気も抜群。
スタッフに紹介してもらったリトアニア料理レストランも雰囲気抜群。

しかし南下すればするほど人から愛想がなくなっていくのはどうにかならんものか。
それだけならまだしも、英語も通じなくなってくるのが困る。
美人率も肥満率も相変わらず高い。

明日はヴィリニュス一日観光の予定。
posted by しゅらいぜ at 04:54| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月06日

バルト旅行記Day4 -2012・夏

今日はリガを一日観光。正直、昨日結構回れてしまったので見所がほとんどない。

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.10151165034293343.506627.568068342&type=1&l=fdeb8bc1fd

まずバスターミナルへ。
明日はツアーに申し込んでいたのだが、残念ながら参加が1人のため催行不能に。
仕方ないので自力で行くためチケットを買う。

しかしラトビア人は美人が多い。が、愛想がない。
長い冬を生きる北国の民族らしいが、観光業に従事してるとは思えない。
ホテルマンですら愛想も言葉も少ない。
それでいて怪しい声かけや物乞いがいるので、雰囲気はよくない。
エストニアの方が雰囲気はずっと良かったと思う。

チケットを取ったらすぐそばにある中央市場へ。
一応北欧で最大の、とうたっているだけあり日曜日でも活気にあふれている。
物価も安く、パンが40円くらいから買える。

その後は昨日行ったラトビア料理店でランチ。
同じ店で・・・とは思ったがセルフで安く、地元の料理が食べられるので良い。

昼食後はバスとクルーズツアーに参加。
徒歩では行きにくかったユーゲントシュティール建築群や、
ソ連のWW2戦勝記念碑などを見られたので良し。
クルーズでぼーっとできたのも良かった。

そしてガイドさんはかなりの美人だった。
景色よりも見とれてたかもしれない。

それからラトヴィアの占領博物館へ。
主にナチスとソ連時代の様子を展示している。

ソ連時代は政治、文化だけでなく教育やTVに至るまで影響を受けていたが
独立への意思を失わず、抵抗はあちこちであったことを知った。
鎮圧のためのKGBが暗躍していたことも。
そして独立前夜に起きた人間の鎖、という行動も初めて理解できた。

こうしてリガの観光を終えるが、もしかしたら半日別の地方を見る時間もつくれたかもしれない。
リガは都会なので、これがラトヴィアかというと違うらしい。

旅行の宿命か、食べ過ぎも気になる。少しセーブしよう。
posted by しゅらいぜ at 01:33| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月05日

バルト旅行記Day3 −2012・夏

炎の連投。昨日はホテルに戻るやダウンしてしまった。

しかも携帯がお亡くなりになった模様。
充電の規格が合ってないままむりやりやったのがまずかった。(そりゃそうだ

今日はリガへの移動日。
8:30のバスに乗るはずが、事前にバスターミナルへの行き方も
ろくに調べず、内心ヒヤヒヤの到着だった。
(たまたまつかまえたバスの時間が良かっただけだった)

途中休憩を挟むこと4時間半、リガへ到着。
着いた途端運河が目に飛び込む。この感じ、悪くない。

リガは人口80万を擁する、バルト一の大都会。
そのせいか通りは雑多で、物乞いや怪しげな感じな人も珍しくない。
近代的な建物も増えてきたが、旧ソ連時代の貧しさを感じさせるものが残っている。

ホテルに着いてから、近くのカフェでケバブを食す。
物価はタリンより若干高く感じるが、スーパーでみると日本よりは安い。
なんとなく行き先を決めて出発。

所々で音楽が聞こえる。
観光客も多いが、ベンチに座る老婦人達や市場での会話から街の息遣いが聞こえてくる。

ここでも教会の上に登ってリガの街を一望する。
運河が非常に映える。やはりこういうのは晴れているときに登らなくては。
雰囲気はタリンの方が好きだが、所々で似た空気がある。

夕食はラトヴィア料理のセルフに挑戦したが、ボリューム満点でおいしかった。
ただし頼んだオレンジケーキは例外だった。
明日もいるのでアルコールは控えておこう。

明日は市内観光ツアーに参加する予定。
posted by しゅらいぜ at 01:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

バルト旅行記Day2 −2012・夏

この日はタリン旧市街を一日観光。ホテルの朝食はヨーグルトをはじめうまかった。

聖ニコラス教会の塔に登ったところ、そこで知り合った
日本人旅行者の方と一緒に回ることに。
一人旅はこういう予期せぬ出会があるのがいい。

その方はストックホルムからフェリーで一日観光に来たそうだ。
ストックホルムは近代都市なので見所が少ないと言っており
タリンの観光に満足していた様子。

絵になる通りをめぐりつつ、12時からは無料ツアーに参加。
やはり無料だけあって多い。Cookie Monstersというツアー名になった。
かなりハイテンションな女性ガイドさんだ。
英語も早く、ついていくのに必死だが所々でまるほどな話が聞けた。

昼食はエストニア料理と雰囲気をしこたま楽しんだ。

また街をめぐるが、聖ニコラス教会の「死のダンス」は一枚隔てたガラスが邪魔だった。
教会自体は第二次大戦で爆撃され、もはや教会ではなくホールとなってしまったらしく
がらんとした感じだった。

17時からはタリン人が好きな店をめぐるツアーへ。
ガイドは生真面目な北国っぽい雰囲気。
気のいいノルウェーの夫婦とご一緒させてもらった。

店が良かったのはもちろんだが、話に花が咲いたのが良かった。
エストニア人はだいたい母語のほか、ロシア語、フィンランド語、英語などに堪能だそうだ。
確かにどこに行っても英語が通じる。エストニア人すごすぎる。
3人とも結構日本食に慣れているが、はしは使えないそうだ。

満腹になったところで宿へ戻る。
タリンはほんとうに良い思い出ができた。これも旅を彩ってくれた人のおかげだと思う。
感謝!!
posted by しゅらいぜ at 01:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月03日

バルト旅行記 @日目−2012年・夏

ただいまバルト三国、エストニアのタリンにいる。年1回と勝手に決めている、ヨーロッパ旅行の行き先に今年はここを選んだ。

写真はこちら。

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.10151165034293343.506627.568068342&type=1&l=fdeb8bc1fd


1週間くらいで、複数国まわれて、中世の街並みが残ってて、まだ行ったことなくて・・・
(あと日本人が少なそうで)とあれこれ条件を考えていたらたどり着いた。
決してガイドブックに載っていた娘さんが可愛かったからではない。

初日は移動が中心。
飛行機で10時間かけてヘルシンキ、30分でタリンまで到着。
バスに乗って旧市街のホテルへ。

日本はおろか、アジア人が予想以上に少なくて良い。
石畳の街並みにスーツケースの音が不恰好に響く。

ホテルは中世からの建物を利用したアンティークさがウリ。
アジア人への配慮か、部屋には中国産と思われる棚があった。

チェックアウトしたら近くにあったOlde Hansaという中世料理の店へ。
ガイドブックにも載っているが、店員の服装や建物も雰囲気抜群だ。
親切で英語も通じ、なんと日本語のメニューもあった。

肉やザワークラフトがつまった料理や、はちみつ入り黒ビールを堪能。
お腹いっぱいすぎ!でも幸せ!

明日は旧市街を一日観光。無料ツアーにも参加してみる。
posted by しゅらいぜ at 11:46| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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