このエントリもはや4回目。徐々に考えも整理されてきた。
前回までは「喪失感」について書いてきた。
今回からはもう一つのキーワードをもとに考えようと思う。
もう一つの鍵、それは
「抑圧」。
心理学でもよく使われる言葉だが、自分の場合は簡単に言ってしまうと
思ったことをそのまま口に出せない、あるいは「いい子」フィルターを通じてしか出てこない
ということだと考えてる。
「喪失感」の件でも触れたが、物心ついたときから、自分は「いい子」でいようとした。
母親をはじめとした身近な人の承認が欲しかったからだ。
幼稚園の頃は、制作物をできてないのに真っ先に「できた!」と言い、
先生に認められたがる行動をとるほどだったらしい(詳しく覚えてないが)。
小学校に上がったばかりの頃は、学校でほめられたり良かったことなどを
すぐさま母親に話したがっていた。
そういう承認が欲しかった。
悪態をつく、問題行動を起こすといったことは、承認とは逆の懲罰が待っていることも知っていた。
そうした行動が注目を集める手段であることは分かっていたが、
自分の場合、単に懲罰が怖かったのと、自分を見て欲しい、すごいと言って欲しいという欲求のほうが強かったのでこの行動には至らなかった。
むしろ、ほめてくれなくなる、認めてくれなくなるものとして
「こういうことはいけないんだ」、と絶対に手を出そうとしなかった。
これが、自らを抑圧する動機にもなっている。
こうして抑圧している、というのが実感できる例もある。
今でも鮮明に覚えているが、小学校高学年の時、家に帰って担任のことを
「あのハゲオヤジめ!」
とつぶやいたとき、ものすごい罪悪感に襲われた時がある。
これには伏線がある。
あの日、学校では卒業文集を作ることになっていた。
しかし、自分は卒業文集の原稿用紙を家に忘れてしまった。
担任にそのことを言うと、無言で担任は自分を蹴っ飛ばした。
結局その時間、自分は何もできなかった。
こんな体験。
今から考えると体罰だけでなく、現場の問題解決を放棄した教師は職務怠慢なのだが、
忘れただけで蹴られるのはどうしても理不尽だった。
その理不尽さが、この台詞を言わしめた。
言ってから感じたのは、ハゲオヤジなんて汚い言葉だ、
そもそも先生にそんな事言っていいのか、
そんな言葉を使ってたら不良になってしまうのではないか・・・そんなことだ。
これが、後に「いい子」の抑圧に気づいた最初の体験だった。
(続く)
posted by しゅらいぜ at 00:40| 東京 🌁|
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