2012年08月15日

自想するE

前回からの続き。

実は「いい子」でいることがいつの間にか「観察する自分」に置き換わった理由ははっきりしない。
そうなったのは高校時代、いわゆる思春期で自己の客観視をするようになる時期と一致している。
抑圧が思春期に変化したと言えるかもしれない。

そしてもう一つ変化したのが、「強烈な自己主張」。

反抗期は誰にでも来ると思うが、自分の場合は暴力的な衝動ではなく
理不尽に対して敏感に反応するようになった。

中学くらいから、理不尽と感じるものには強烈に抵抗した。

その矛先が向いたのはまず父親で、自分が読んだ新聞をたためだの、
俺がテレビ見るからチャンネル変えろだの、そのような要求に猛反発した。
このとき以来父親とは口もきいてないし、15年以上会ってないので生死もわからない。

次が高校。カバンは指定だの、やってすぐ元に戻る頭髪検査など
理不尽な校則のオンパレード。
教師は何故それが必要か説明しようともしない(分かってないように見えた)。
生徒はもはや諦めて思考停止、管理されていたし鬱憤が別のところにでてきていた。

そんな高校が大嫌いだった。
時には教師に反抗的な口を聞くこともあったが、
そのたびに理屈で説得させられない教師を心底見下した。

ひたすら大学に行きたい思いで、高校生活を黒く塗り込めた。

それだけでなく、私生活でも自分が理不尽を受け入れることはできなかった。
我慢できず反発が生まれた。

・・・と、ここまで書いて思ったが、「抑圧」された感情が、
理不尽に対する強烈な自己主張・反発とつながるかは、もう少し考えたほうがいいかもしれない。

一般的な反抗期とも言えると思うし、まだ知らない別の要因が隠れているかもしれない。

(続く)


posted by しゅらいぜ at 22:52| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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