2013年10月12日

stop by-er

子どもたちをなんとなく見ていると、門をくぐって行く時に、立ち止まる子を見かけることがある。

立ち止まり方は、ママを振り返ったり、
珍しい虫を見つけたり、野菜の成長を見たりと様々。

ゆとりがあるなあー

と感じ、我が身を省みた。

思えば小さい頃から、敷かれたレールの上を走ってきた。

疑うこともなく。

幼稚園にも、小学校にも、行くものだと言う意識。

行ったら〜〜があって、XXをする。

そういうもんだ。
ここは、そういうところだ。

この一言で、全てのことを受け入れていた。
好きも嫌いもなかった。

だから、母親と離れるのが嫌で泣く子は不思議だった。

門をくぐると、真っ先に教室へ行き、やることを済ませて
遊びに行く子もいる。むしろそちらのほうが多い。

でも、立ち止まる子は違う。

その子の感性と時間が流れている。

いいな。
それ、大事にしてほしいな。

そんな思いで見送っている。


posted by しゅらいぜ at 22:23| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月18日

街角にて

リトアニアの首都、ビリニュスを歩いていた時のこと。

隣の車からクラクションがしたので、なんだろうと思って振り向いてみると、若い白人の男が中指を立てて汚い言葉を叫んできた。
目線の先には自分しかいない。敵意のある目だった。
彼らは何かをわめいて、そのままどこかへ行った。

ガイドブックを見ると外国人排斥の犯罪が近年あったそうで、そうした思想の影響かもしれない。
彼らの行為が旅行者のこの国の評判を落とすとなると残念だ。

今回は何もなかったが、旅先で歓迎されなかったのは何も初めてではない。
同じような経験をしたことのある人もいるだろう。
旅先で会った人とはいろいろな話をするが、今回会った人の中には
ヨルダンで知り合った韓国人団体客が自爆テロに巻き込まれたと語る人も居た。

世界にはこうした理不尽な敵意を向ける人がいる。
日本にだってやってる人はいるかもしれない。

ただ、なぜその体験をするか、一つは自分が彼らにとって異質だからだ。

自分が異質である、と実感するのは、旅をしないとできないかもしれない。
経験しないのが一番かもしれないが、きれいごとではない体験は、世界の現実を思い知らせる。
自分を見る目を開く。

そうしたことに気づくのも、また旅の持つ力なのかもしれない。
posted by しゅらいぜ at 16:06| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月15日

自想するE

前回からの続き。

実は「いい子」でいることがいつの間にか「観察する自分」に置き換わった理由ははっきりしない。
そうなったのは高校時代、いわゆる思春期で自己の客観視をするようになる時期と一致している。
抑圧が思春期に変化したと言えるかもしれない。

そしてもう一つ変化したのが、「強烈な自己主張」。

反抗期は誰にでも来ると思うが、自分の場合は暴力的な衝動ではなく
理不尽に対して敏感に反応するようになった。

中学くらいから、理不尽と感じるものには強烈に抵抗した。

その矛先が向いたのはまず父親で、自分が読んだ新聞をたためだの、
俺がテレビ見るからチャンネル変えろだの、そのような要求に猛反発した。
このとき以来父親とは口もきいてないし、15年以上会ってないので生死もわからない。

次が高校。カバンは指定だの、やってすぐ元に戻る頭髪検査など
理不尽な校則のオンパレード。
教師は何故それが必要か説明しようともしない(分かってないように見えた)。
生徒はもはや諦めて思考停止、管理されていたし鬱憤が別のところにでてきていた。

そんな高校が大嫌いだった。
時には教師に反抗的な口を聞くこともあったが、
そのたびに理屈で説得させられない教師を心底見下した。

ひたすら大学に行きたい思いで、高校生活を黒く塗り込めた。

それだけでなく、私生活でも自分が理不尽を受け入れることはできなかった。
我慢できず反発が生まれた。

・・・と、ここまで書いて思ったが、「抑圧」された感情が、
理不尽に対する強烈な自己主張・反発とつながるかは、もう少し考えたほうがいいかもしれない。

一般的な反抗期とも言えると思うし、まだ知らない別の要因が隠れているかもしれない。

(続く)
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2012年08月14日

自想するC

このエントリもはや4回目。徐々に考えも整理されてきた。

前回までは「喪失感」について書いてきた。
今回からはもう一つのキーワードをもとに考えようと思う。

もう一つの鍵、それは「抑圧」
心理学でもよく使われる言葉だが、自分の場合は簡単に言ってしまうと

思ったことをそのまま口に出せない、
あるいは「いい子」フィルターを通じてしか出てこない

ということだと考えてる。

「喪失感」の件でも触れたが、物心ついたときから、自分は「いい子」でいようとした。

母親をはじめとした身近な人の承認が欲しかったからだ。

幼稚園の頃は、制作物をできてないのに真っ先に「できた!」と言い、
先生に認められたがる行動をとるほどだったらしい(詳しく覚えてないが)。

小学校に上がったばかりの頃は、学校でほめられたり良かったことなどを
すぐさま母親に話したがっていた。

そういう承認が欲しかった。

悪態をつく、問題行動を起こすといったことは、承認とは逆の懲罰が待っていることも知っていた。
そうした行動が注目を集める手段であることは分かっていたが、
自分の場合、単に懲罰が怖かったのと、自分を見て欲しい、すごいと言って欲しいという欲求のほうが強かったのでこの行動には至らなかった。

むしろ、ほめてくれなくなる、認めてくれなくなるものとして
「こういうことはいけないんだ」、と絶対に手を出そうとしなかった。

これが、自らを抑圧する動機にもなっている。

こうして抑圧している、というのが実感できる例もある。

今でも鮮明に覚えているが、小学校高学年の時、家に帰って担任のことを

「あのハゲオヤジめ!」

とつぶやいたとき、ものすごい罪悪感に襲われた時がある。

これには伏線がある。

あの日、学校では卒業文集を作ることになっていた。
しかし、自分は卒業文集の原稿用紙を家に忘れてしまった。
担任にそのことを言うと、無言で担任は自分を蹴っ飛ばした。
結局その時間、自分は何もできなかった。

こんな体験。

今から考えると体罰だけでなく、現場の問題解決を放棄した教師は職務怠慢なのだが、
忘れただけで蹴られるのはどうしても理不尽だった。

その理不尽さが、この台詞を言わしめた。

言ってから感じたのは、ハゲオヤジなんて汚い言葉だ、
そもそも先生にそんな事言っていいのか、
そんな言葉を使ってたら不良になってしまうのではないか・・・そんなことだ。

これが、後に「いい子」の抑圧に気づいた最初の体験だった。

(続く)
posted by しゅらいぜ at 00:40| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月12日

自想するB

ロングエッセイ第3弾。

前回までは、自己の喪失感が人間関係にまで影響し、
他人との距離感が分からなくなってしまったところまで書いた。

そのことを思ったきっかけは、仕事と趣味だ。
仕事で築く人間関係は、基本的には仕事という線でしか繋がっていないため
いくら良好な関係が築けたところでそれ以外の話にはなりにくい。
自分から踏み出さない限り。

趣味で繋がる人とも同じことが言える。
基本的に話が合うところだけで話していれば済むので
お互いを深く知るということは意図的にしないとできない。
そうした会話を敬遠する人も見てきた。

そうした付き合いをしてきた結果、人を深く知ろうとする、
より親密な関係になるための術を知らない人間に育った。

当り障りのない社交性なんて欲しくない。
この年にになってまともな付き合いも知らないのがコンプレックスだ。
もっと知りたい相手と距離を縮めていけるようになりたい。

今までそれができなかったのは、なにより相手から嫌われることから逃れたため、一歩を踏み出す勇気が持てなくなってしまったからだ。

そこまでは自覚している。

では、これからどうすれば変えられるのか。
実行に移すことが目下の課題と言える。

(続く)
posted by しゅらいぜ at 22:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月11日

自想するA

前回記事の続き。

こういった自己洞察をするのは、過去や自己を否定するわけではなく
ただそうなっている、という観察を踏まえ、その上でどうするかを考えることが目的である。
暗い思いは一切ない。

前回は「喪失感」、つまり自分を持っていない状態のことを書いたが
これは人間関係を築くときにも大いに影響している。

主に高校時代くらいまでのことだ。

自分で自分を評価できないから他人の評価を求める。
自分を認めてないから他人を認めることがどういうことかわからない。

認められたいから、結局自分の話は自慢話となった。
この傾向は負けず嫌いが拍車をかけた。
できない相手を見下すから余計にたちが悪かった。

相手を認めることができないから、相手にも自分と同じことを求め、できなければ責めた。
ミスを赦すことができなかった。
約束の時間に遅れることなど、些細な事でも。
それくらいできるだろう、と自分のものさしでしか相手を見られなかった。

相手からすればこれほど嫌な人間もいないだろう。
少し距離が近づくと、相手から嫌われることが多かった。

だから他人とは距離を置くようになった。
結果、当り障りのない会話しかできなくなった。

(続く)
posted by しゅらいぜ at 23:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月10日

自想する@

バルト旅行からも無事帰国し、今回の旅や仕事のことで色々考えることがあったので書いてみる。考えたのは、自己の洞察。

自分を語るにはいくつかキーワードがある。

まず思いつくのが、「喪失感」。

児童学なんかを学んでいると、幼児期には親から無条件の承認が自己肯定感を育てるそうだ。
(いるだけでいいという存在の承認)

しかし、自らが育った家庭ではそれが感じられなかった。
両親の中も冷めていたし、成長するにつれ父親は憎い敵でしかなかった。
自分が嫌いと思うことはあっても、好きだと思うことはなかった。
今は嫌いではないが積極的に好きとも言えない。

日本人は一般的に自己肯定感が低いと言われるので、この事自体は珍しくないだろう。
特に団塊の世代は結婚に失敗した世代とも言われる。成田離婚なんて言葉も生まれた。

ともかく、自己肯定感が低かったので、自分で自分を評価することができず、
他者の承認を人以上に求める傾向があった。

学生時代は自分のやりたいことも分からなかった。
こうしたいという思いもなく、他人の喜びが自分の喜びみたいなところで、自分で自分のやったことを評価できなかった。
自分のことを語るのもすごく苦手だった。

社会人になってSEがあわないと思ったのと、コンサルという仕事を選んだのも、
全てはクライアントに認められる環境が欲しいと思ったから。

上司から評価の時「他人は他人、自分は自分だよ」という話をもらった後、ようやく気づいた。

自分は自己評価ができないんだ。
他人の評価でしか自己の存在を確認できなかったんだ、と。

これが自己を「喪失」している、と思った理由。
そしてその喪失感が、人間関係にも影響を及ぼしている。

(続く)
posted by しゅらいぜ at 23:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月20日

やりがいはシフトできるのかA

一月ぶりに前回エントリの続き。

「やりがいをシフトする」とはこういうことか、と思った一件がある。

卒園式に居場所のなさを感じたことだ。

卒園式と言えばハレの日。
新しい一歩を踏み出す日。
先生や生徒、保護者が涙と笑顔に包まれる日。

が、自分はいずれの役にも当てはまらない。
もらい涙もなく、結局、涙する人達を眺めていることしかできなかった。

自分は冷血人間なのか?人の心がないのか?

真剣に悩んだ。

結果、この状態を受け入れることが自然だと思い至った。

自分の仕事は、チーム、仕事、職場といった形の見えないものを創る・より良くする
といった類のものである。
華やかに聞こえるが、主役ではない。日の目を見ない辛さもある。
周囲の理解が得られないこともある。

そんな仕事の成果が、皆が笑顔になっているこの場ではないかと思った。

皆が笑顔になる場を作り出す。それが自分の仕事だし、
評価するのも自分だ。一人、杯を傾ければいいというものではないだろうか。

経営者が抱える孤独感に近いものがあるかもしれないが、
要するに、主体者として楽しむのではなく、場を作れたことに満足するのだろう。
そして、また次の一歩を踏み出していくのだろう。

それでいい。
posted by しゅらいぜ at 23:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月22日

やりがいはシフトできるのか

世の中には、やりがいを感じるのに2通りの人がいる。

一つは、自分で作ったものに達成感を感じる人。

もう一つは、出来たものを人に評価されて喜びを感じる人。

自分は後者だ。さんざん考えたけど明確な理由はない。
小さな頃からの経験の積み重ねなんだろう。

自分がこの2つのうちどちらかを分からずに、違うタイプの仕事をすると失敗する。
かつての自分がそうだった。
転職した時は、合う方を選んだ。

だが今は、前者のようなやりがいを自分で見つけていかなくてはいけない、という状況に戸惑いを感じている。
一般的には役職が上がるにつれ、感謝・評価してくれる人が少なくなるので、
同じような悩みを抱える人もいるのかもしれない。
特に経営者は孤独だ。誰も本心を理解してくれない(させない面もある)。

人を育てていくこと。結果が数字に現れていくこと。良い評判を得ること。
こういったことで、自分で自分を評価していくしかないと思っている。

いままでにない価値観を、自分にどう理解させていくか。

手探りの日が続いている。
posted by しゅらいぜ at 22:16| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月05日

戦いの記録

最近めっきりブログを書く回数が少なくなった。

これでは定期的に見てくれる人に失礼ではないか(いるのだろうか?)

特に日々の記録が少なくなったのは、書く場所が分散したことが大きい。
仕事に関する日々は、別のファイルに書くようになったからだ。

新しいことを始めた一年。キーワードは「挑戦」。
(なんだか毎年テーマが同じ気もするが)
この戦いの日々を、記憶しておきたいという思いから始めた。

うまくいったら本にしたいなー、と考えてる自分がキモい。

とはいえ、誰かに何かを感じてもらうことができたら嬉しい内容ではあるので
何かしらの形で出してみたいと思ってる。

期待せずにお待ちください。
posted by しゅらいぜ at 23:44| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月11日

スタートライン

「自分はこういう人間なんだ」ということから考え始めるといい。

今も世話になっている元上司からの言葉だ。

自分の短所から目を背けず、まずは認めるところから対策を考える。
この重要性を最近実感するようになった。

現在出席しているある講座で、いきなり知らない周囲の人と
XXについて議論してください、と振られることがあった。

正直、戸惑いを隠せなかった。
誰も切り出さず、出方を伺う空気が実に嫌で、
ぎこちなく自分から話し始めたものの、
言いたいことを言い合うだけで終わってしまった。
その人のことが分からないままの議論は非常に難しかった。

授業の進め方にも疑問を感じることはあるが、
その時思ったのは、

自分はそんな社交的ではないんだ。

ということ。

人見知り、とはちょっと違うかもしれないが
初対面の人と関係を築くのに、パワーを必要とする自分がいることを感じている。
誰でも気軽に、とは相当無理をしてないとできない。
心理的な壁があるから、知らない人と打ち解けた話はしない。

かつては何とかしないと、と思うことが先走ったが、
今では、「そんな自分を認めよう」という気持ちが先に来ている。

変わるか変わらないか、はさておくも、
それが、ほんとうの意味でのスタートラインなんだと思う。
posted by しゅらいぜ at 21:37| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月25日

今年は去年の続きではない

本日付けで、4年間通ったジムを退会した。

一番の理由は時間が欲しいこと(資金難というのもあるが)。
平日に通える場所にいいところがあるので、
そちらを法人都度会員として利用することにした。

今までは土曜午前中にジム→帰って来て昼寝→夕方からと
ほぼ一日潰れてしまうパターンだった。
これから、休日はもう少し通信教育の勉強に充てることにした。

とはいえ、このジムも法人会員で使えるのでそれほど感慨はない。
丸4年間というのもそう重みがない。
それはそのはず。運動は継続が重要だ。
振り返っている時ではない。

にしても今年はジムの中でも変化がある年だ。
ゴルフスクールの同じ時間帯の人はみな退会/時間移動して
いなくなってしまったし、同じくらい通った人で辞めた人も多い。

今年は去年の続きではないのだな、と思った。

posted by しゅらいぜ at 19:55| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月13日

人を活かすリーダーシップ

「松下電器は何を作っているところかと聞かれたら、「人をつくっているところ」と答えていただきたい」

松下電器(現・パナソニック)創業者、松下幸之助の言葉を一部改変して抜粋。
当初から、幸之助が人材育成を意識していたことが分かる。

松下幸之助の言葉や経営手法を語り継ぐ本は数多く出ているが、
こういう言葉に触れると、幸之助がいかに人に支持されてたかが伺える。

会社は人でできている。その原点を思い出させてくれる。
posted by しゅらいぜ at 22:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月23日

報道の自由について触れたこと

1年走り続けてきたプロジェクトも残すところあと1週間。

本当に喜怒哀楽が詰まったプロジェクトになったが、最後に朗報があった。
成功事例として、某ビジネス誌にプロジェクトが載ることになったのだ。
(自分は載ってないがクライアントが中心に事例を語ってる)

一般の雑誌に日の目をみるのは、プロジェクトを進めてきた立場からすると感慨深い。

が、気になったことが一つ。

なんとその記事、取材はするが掲載前の原稿確認が出来無いというのだ。

え?

なんで?

と上司と一緒に首をかしげたのだが、どうやらメディアと自分たちは
違う世界にいるのだということが分かってきた。

コンサルタントの世界では、記事のような成果物は
クライアントから認められて初めて価値を持つ。
システムだってユーザから認められて、という側面があるので同じだと思う。

そのため、要件を確認して成果物を作ったら、
求めていたものとの齟齬がないか、必ず確認する。
新人でも知ってるようなことである。

ところが彼らにはそれがない。

どうも、相手の意図を汲むというよりは、自分達が受け取ったものを表現する
ということが基本的な価値観になっているらしい。

これが巷で言われる「報道の自由」というやつか、と思った。

すごく乱暴に言ってしまえば、

情報はわかった。こっちでいいように加工する。

ということのようだ。

ああ、こういう価値観だから記事に抗議も出るし、
書いてもメディアが謝らないんだ・・・

ここ20年くらいで顧客に価値がシフトしてきた中、
随分前時代的な価値観だ、と思わざるを得なかった。

そうしなければいけない理由もあるんだろうけどね。
とはいえ、事前確認をするところもきっちりあるそうで。

メディアも過渡期なんだろうか。
posted by しゅらいぜ at 00:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

プレーから学ぶ

11月の週末はゴルフ三昧。
今のところ天気にも恵まれ、快適にプレーができている。

そんな中、考えることがある。

何故自分の心はこんなにも弱いのだろうか?

と。

例えばちょっとのミスショットでスコアが崩れる。
それだけで今日はもう駄目だ、という思考がよぎる。

理由はよくわかる。
自分で立てた目標に、実際追いつかなかったとき
そこにあるのは実力不足という事実。
言い訳の余地もない。

そこで「今日はグリーンが速くて・・・」「全然練習してなくて・・・」というのは簡単だ。
言い訳をしようとするのは、不都合な事実と向き合いたくないからだ。

プレー中は、こんな弱い心と、常に戦っている。

自分の至らなさから目をそらさない。

失敗しても引きずらず、目の前の一球に集中する。
必ず良いところを見つける。

そんなことを考えながら、弱い心と向き合っている。

周囲と楽しむだけでなく、本気で楽しむ。自分に挑む。
さらなる高みを目指して。

posted by しゅらいぜ at 00:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月18日

何かに夢中になるということ

何かに夢中になるということ。
それは仕事であれ趣味であれ、人生の充実感を教えてくれるものだと思う。

自分は何かに夢中になっているだろうか?

最近、よくそんなことを考えるようになった。
特に、趣味の分野で。

自分は多趣味である。

・旅行(国内/海外)
・英語
・美術館めぐり
・読書(本屋巡りも含む)
・野球観戦
・ゴルフ
・卓球

・・・これだけ並べれば、多趣味で無趣味と言われても仕方ない。

これに、どれだけの思い入れがあるのだろう?

好きなものを広く浅く手を出した結果、中身のない人間になってないだろうか?

そんな不安になることもあった。

そこで、改めて考えてみた。

個々の趣味は、確かに普段やってる時に常時楽しさを感じているわけではない。
日課・条件反射のようになってしまっているものもある。

それは、「夢中になる」という状態ではないかもしれない。
他に選択肢もあるのかもしれない。

だが、ここに見ていくと、やはり「この趣味のこれが好き」というものがあるのだ。

旅行であれば、知らない土地で出会う人や自然との対話。
全然文化や言語も違う人達と英語で「通じ合う」「分かる」ことの楽しさ。
美術館は、何の理由もなく自分を捉えて離さない作品と出会った時の新鮮さ、喜び。

やる趣味全てに、「これが好き」というものがあった。

その「好き」というコアな思いがあるから、自分は今も続けているのだと思う。

長く続けてきた趣味だからこそ、語れるものもある。

それは、立派ではないかもしれないが、自分に「中身がある」ということではないか。

そう思い至ったら、気が少し軽くなった。
posted by しゅらいぜ at 23:18| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月23日

過ぎていく夏

暑い。気温が体温に迫る日が続く。夜も寝苦しい。

そんな夏の真っ盛りでも、少しずつ季節の変わり目を感じている。

早くなってきた日没。
セミの死骸。
真っ赤な夕焼け。

まだ終わってほしくない。

どこか切ない気持ちで、過ぎていく夏を感じている。
posted by しゅらいぜ at 12:08| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月03日

どんな30代を目指すかA

前記事の続き。

ここまでの20代を振り返ってみれば、「仕事は満足、人間性は要努力」だと思う。

仕事では、ようやくチームや案件を任される立場になってきた。
クライアントの執行役員と、自分が主体で打合せが進められる今は
新人時代とは比べ物にならない進歩だと思う。

20代で年収1,000万、起業といった派手さはないが、
仕事ができるようになってきた実感はある。

他方、人間性は、もっと深みと寛容さを出したい。
深みとは、何かを意識して打ち込むこと。
今はゴルフや意識的な読書がそれだが、
長く付き合えるテーマで、自分を磨いていきたい。

寛容さはずっと意識している課題。
自分は約束にたいし、強くコミットしなければいけない
という思考に縛られがちである。
それが相手にも求めてしまうと、相手は時に苦しむ。

自分は自分、他人は他人。
その距離感でうまく人間関係を築けるようになりたい。

さて、肝心の30代で何を目指すか、だが。

先のことはわからない。(笑)

今あるのは、

・仕事では、実家を継いで、経営者として世界一の幼稚園を目指しているだろう。

・人間的な面では、お一人様を卒業したい!
 結婚に失敗している両親を見ているので、

 自分にとって、どういう付き合いがいいのかを考えたい。
 もう少し、自分に自信を持とう。

たぶん今書いてきたことが、現実になってくれば
きっと楽しい30代になってくると思う。

実現に向け、できることから頑張ろう。
posted by しゅらいぜ at 21:41| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どんな30代を目指すか

今日は20代最後の夜。

せっかくなので、20代を振り返って、
これからどんな30代を目指すかを考えてみたい。

@20代の振り返り

・思えば大学生活は刹那的で、その場の思いつきしかやってなかった。
 大学は単位をとってからほとんど行かなくなった。
 塾講師の仕事に熱中してるかと思えば、貯めた金で英国語学研修。
  
 大学時代、サークルや課外活動に熱中して、みたいなことは少なかった。
 かといって、勉強をまじめにやってた訳でもない。
 今となっては、卒論の内容も覚えてない。

 何かひとつ、これだけでも打ち込んだと言うものがあれば良かった。
 語れるものを作っておけばよかった。
 今になって思っても無駄だけど。
 
・そんなわけで、どんな仕事につきたいかは、就活に追われて考え出した。
 結局選んだのはSE。ITに興味があったのが理由。
 自分の軸がなかったので、面接では苦労した。

・外資系IT企業に入社。
 田園調布で一人暮らしを始めて、周囲の環境もガラッと変わった。

 周囲の新人とは違うんだ、とやや唯我独尊的な新人だった。
 同期とは違う道を行きたくて、コミュニケーションも避けていた。
 結果、せっかくあった恋のチャンスも逃した。

 仕事と言うものが分かってなかったから、仕事中に「疲れたー」などと
 平気で抜かすような阿呆だった。

 が、実際の仕事に入って、その腐った根性を叩き直された。
 ここで自分を指導してくれた先輩には、今でも感謝している。

 深夜土日もがむしゃらに働いて、理不尽もいっぱい経験した。
 そのことで強くなれた一方、このままでいいのかという不安がもたげた。
 
・結局、丸3年で会社を飛び出した。
 サラリーマンにはなりたくないと思ったので、ベンチャー企業の門戸をたたいた。
 どこも即戦力を求めて、ただのSE(それもたいした経験のない)には厳しかった。
 結局、大学の知り合いが勤めていたコンサル会社からオファーをもらった。

・この転職がまさに転機となった。
 勤務先は、ベンチャーながら顧客の評価が高いコンサル会社。
 厳選採用を行ってることもあり、非常にいい人たちにめぐり合えた。

 仕事はいつもチャレンジングだったが、その分やりがいもひとしお。
 同僚とは、プライベートでも付き合いができるようになった。
 自分の軸を持つことの大事さを知った。

 人間的に成長できている、と思える転職だったと思う。

ここまでが20代。続きは30代へ。
posted by しゅらいぜ at 21:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月06日

still goes on.

昇進(+昇給)した。

まずはこの事実を喜びたい。
去年は、不幸な行き違いと己の至らなさがあって苦い思いをした。
そこから一歩前進したことを、自信にしたい。

普段から常々思っているが、この仕事は顧客が第一。

顧客評価(越えられない壁)>>社内メンバーの評価>>>社内評価

くらいに優先度を考えている。

去年の半年間は、優先すべき顧客評価がない(プロジェクトがない)
という、非常につらい時期だった。
顧客評価がないので、社内評価も変えられないという鬱憤もあった。

今回は、そのどれもが評価されたということで、望ましい状態ではある。

しかし、前の記事にも書いた通り、プロジェクトがそんなことを言ってられない状況にある。

書いた時よりは好転してきたが、
それでも”失点”を取り戻すのに、あと1ヶ月は必死の状態が続く。
自分にも昇進した、という尺度では測れない責任と成果が求められている。

必ず最後までやりきる。

成功は一日で捨て去り、明日への戦いを続けていく。
posted by しゅらいぜ at 23:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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